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旅行・地域

2010年7月 2日 (金)

夏がくると・・・

夏休みが近づくと、ツーリングで訪れたさまざまな場所を思い出します。

北海道を走りたいという夢が実現したのは、20代の中ごろになってからでした。

道東はどこも素晴しかったのですが、とりわけ印象に残っているのは羅臼(ラウス)です。

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サロマ湖で知り合ったW1S氏としばらく一緒に走った後、網走から知床半島に入り、ウトロから知床横断道路を越えて羅臼に入りました。

知床半島は世界自然遺産に登録されましたが、まさに大自然という表現がぴったりでした。

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その頃乗っていたBKは「YAMAHA XV750」。

国内初の空冷Vツイン搭載のアメリカンです。

高速走行には不向きでしたが、のんびりした長距離ツーリングにはとても便利でした。

Xv750_2                             (※同型車・色は違います)

ピーター・フォンダ、デニス・ホッパーの「イージーライダー」を見た衝撃でツーリングにハマりましたので、きっと、アメリカ大陸を横断してひた走るチョッパーへの憧れがXVにむかわせたのでしょう。

ゆったりしたライディングポジションで地平線まで続くかと思うほどの直線道路に感激したり、阿寒湖付近のワインディング・ロードを風のように走り抜けた感覚は、今でも身体に刻み付けられているように思います。

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斜里から知床峠を抜けると、オホーツクの海に横たわる国後の島影が望めます。

かなりの距離を走った日でしたから、羅臼に入った頃には既に夕暮れになっていました。

急いで宿を探しましたが、迂闊にも夏休みの土曜日であることを忘れていたのです。

もちろん、どこも満員。

しかたなく、野宿をすることに sweat02

近くにキャンプ場がないという情報でしたので、野宿するのに都合のよさそうな場所を探していたら、小高い丘の上に建つ小学校の分校に行き着きました。

ここならあまり迷惑にならないだろうと勝手に判断して、体育館の軒先で一夜を明かすつもりでした。

              2_2                          (道路沿いにキタキツネが普通に出没します)

シュラフにもぐりこんでしばらくまどろんでいると sleepy 突然のライト flair

なんと、校宅に住む教頭先生でした。

手には一升瓶を持ち、ランニング姿のラフないでたち。

晩酌の合い間に、校内巡視をされていたのかもしれません。

怪しいものではないと弁解すると、とにかく家に来いとのこと gawk

旅の行程や身の上話しをしているうちに、なんと、青森で大学生活をおくっている息子さんが夏休みでちょうど帰ってこられたのです。

そのまま宴会のようなご馳走にあずかり、アルコールが入った勢いで麻雀卓を囲みながら過ごしたひと時は、とびっきりの思い出です。

夜も更けてきたので体育館の軒下に戻って休もうとしたら、今夜はここに泊まれとのこと。

一日中ほこりまみれで走った身に暖かいお風呂とさっぱりしたシーツの布団は、言葉にならないくらいありがたいものでした。

翌朝、また近くを通ることがあったら必ず寄るようにと見送られ、涙を拭いながら羅臼を後にしました weep

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「知床旅情」 を聞く度に、その旅を思い出します。

                       

2010年5月23日 (日)

レンブラント

旅の途中で立ち寄ったオランダは、住んでいる長崎と歴史的に関係が深い国です。

ハウステンボスのモデルにもなったアムステルダムには、今も中世の美しい町並みが保存されています。

Img0026もう閉鎖されてしまいましたが、ハウステンボスには一時ライデン大学の分校がありました。

ところで、オランダといえばレンブラントの故国です。

郊外の運河を見下ろす公園に、レンブラントの像が対岸を見つめながら静かにひざまずいていました。

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レンブラントは、1606年ライデンの小麦を挽く風車を所有する粉屋の息子として生まれました。

少年の頃、彼の部屋は風車の中にあったそうです。

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限られた時間の中で、どの美術館を見学しようかと迷った末、オランダ国立美術館を訪れることにしました。

レンブラントの代表作『夜警』をどうしても見たかったからです。

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                              (オランダ国立美術館)

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「大きい!」

カベのようなその絵の迫力に圧倒されました。

雷に打たれたような衝撃に立ちつくしていると、不思議な臨場感に支配されました。

まるで、絵の中に取り込まれてしまったような錯覚。

ようやく冷静さを取りもどして観ると、レンブラント特有の光が左上から右下に見事に貫いています。

光に照らされたディテールが、じつに緻密なのです。

とても絵筆によって描かれたとは思えないほどのリアリティを感じました。

中学生の頃、美術の教科書でこの絵の存在を知った時、この作品がどうして名画といわれるのかまったく理解できなかったことを覚えています。

本物を観る機会がなかったら、きっとその時の印象のままだったことでしょう。

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たまたま、レンブラント展が開催されており『エルサレムの滅亡を嘆く預言者エレミア』を見ることができました。

レンブラント25歳、初期の傑作として名高い作品です。

洞窟の最深部で苦悩する預言者エレミアの姿。

左右の岩には、エルサレムが炎上する様子が、騙し絵のように描きこまれています。

あまりに素晴しかったので、ミュージアムショップでポスターを求めました。

今も、職場の部屋に飾ってあります。

そして、いつか出会いたいと願っている作品が2点。

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ひとつは、『イサクの犠牲』。

天使の背後から射す光が、アブラハムの顔とイサクの胸を金色に染めています。

その神々しい光に、息を飲むに違いありません。

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もうひとつは、『放蕩息子の帰還』。

晩年の傑作です。

若い時の鋭い線は失われていますが、それぞれの人物の深い内面を余すところなく描き切っています。

静謐な境地に到達していたのでしょう。

いずれも、サンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館所蔵です。

いつか出会いたいと願っています。

2010年5月16日 (日)

モーセの山

「ジェベル・ムーサ」(シナイ山)は、シナイ半島の南端にあります。

「モーセの山」と呼ばれてきたのは、もちろん預言者モーセとの縁によります。

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およそ紀元前1300年のことです。

モーセはここで「ヤハウェ」と出会いました。

その場所を記念して建立されたのが「セント・カタリーナ修道院」です。

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標高約1000mの厳しい環境に建つ修道院ですが、外敵を阻むために高い堅牢な塀で囲まれています。

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内部の展示コーナーには、ナポレオンやヒトラー等の時の権力者がこの修道院を守ることを約束した書面が飾られていました。

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モーセが見た、「燃える柴」といわれている不思議な植物が中庭にあります。

多くの人々が試みたようですが、この場所以外に根付いた例はないそうです。

Img0009 シナイ登山の拠点は、石造りの宿舎でした。

五つ星ホテルだそうです。

自家発電機が何度も止まり、暖房も明かりもその都度消えてしまいます。

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山頂で朝日を見るために、出発は午前2時。

頂上付近が氷結している場合は引き返すという条件で登り始めました。

気温は零下10度くらいでしたが、激しい風が吹いていたので体感温度は零下20度くらいに感じました。

降るような満天の星空の中をひたすら登り続け、日の出前になんとか山頂にたどり着きました。

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モーセが「十戒」を授かったシナイ山頂の眺望です。

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ちょうど朝日がのぼる頃地平線近くの視界がよくなり、日の出を見ることが出来ました。

冬は天候不良でなかなか見ることができないと聞いていたのでラッキーだったのでしょう。

Img0022山頂に小さなチャペルがありました。

サンタ・カタリナ修道院の修道士達が資材を運びあげ、歳月を重ねて苦労の末完成させたそうです。

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振り返ると、世界中からこの山を目指した人々が朝日に照らされていました。

国や民族を超える力が、この山に宿っていることを実感しました。

とびっきりの、パワースポットです。

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「シナイ」、なんという素敵な名前なのでしょう!

2010年4月30日 (金)

カッパドキア

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トルコ東部のアナトリア高原を縫うように続く道を抜けると、奇景カッパドキア。

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悠久の歳月を重ねた浸食の結果だとしても、その光景は圧倒的でした。

有名なキノコ岩は、まるで大地から生えているかのようです。

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小学生の頃、ジュール・ヴェルヌの世界に夢中になった時期がありました。

「地底旅行」という作品には、キノコの森が登場します。

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きっと、カッパドキアの奇岩から着想を得たのだと思います。

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地表面も別世界なのですが、本当に驚かされたのはその地下です。

長い年月をかけてつくり上げられた地下都市は、8層とも12層からなるともいわれます。

まるでアリの巣のような通路でつながり、なんと数万人規模の生活が可能だったとのこと。

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観光用に公開されている4層までを見ただけでも、その規模が実感できました。

すべて手掘りなのです。

気が遠くなるような歳月と労力が費やされたことでしょう。

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キリスト教徒が、厳しい迫害を逃れて礼拝をささげたチャペル。

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ここは、ワインを充たしたカメの貯蔵庫だったそうです。

カメが倒れないように、壁が掘り込まれていました。

カッパドキアワインの伝統は、地下ワイナリーがルーツでした。

温度や湿度が一定の地下は、ワイン醸造に最適だったに違いありません。

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驚くべきことに、現在も実際に住んでいる人たちがいました。統計的に長寿なのだそうです。その研究がすすめられていると聞きました。

洞窟で暮らしていた人たちの子孫なのでしょうか。近郊には、その石を切り出して積み上げられた家がありました。冬は暖かく夏は涼しいので、エアコンいらずで快適に過ごせるそうです。

そんな家に、住んでみたいものです。

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カッパドキアは、自然の営みと人間の営為の見事なコラボレーションでした。

                   「点滴石を穿つ」

2010年4月12日 (月)

エジプトからシナイ半島

灼熱の太陽に照らされた砂漠は、そこに生きるものに強烈な渇きをもたらします。

砂漠で生きるには、水は不可欠です。

水が極度に不足している状況で、「水はいのちと同じ価値をもつ」といって良いかもしれません。

砂漠地帯の水辺に人が集い、共に暮らすようになった。

Img0039                            (水を求めて谷を降るヤエール)

世界一長いナイル川河口付近の豊かな沃地に文明が生まれたのは、そのような事情によるものでした。

たびたび暴力的に氾濫を繰り返すやっかいな川ですが、エジプトの人々は「ナイルの賜物」と呼んで大切にしています。

Img0008                                  (ナイル川の夜明け)

エジプトの首都であるカイロの人口は、いまだ正確に把握できていないそうです。

おそらく、世界で最も多くの人が暮らしているだろう、と聞きました。

Img0011                      (古い文化と新しい文化が混在するカイロ)

カイロ郊外からシナイ半島にかけて続く砂漠(サハラ)は、どこまでも砂と岩の連続です。

それが、じつに美しいのです。

自然の多彩な造形美に息をのむほどです。

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Img0093                                 (シナイの砂漠)

Img0036               (雨季になると川になる砂漠の谷をワディと呼びます)

旅の途中で、一本の木を見つけました。

「アカシア」だそうです。

この木だけが、水のない砂漠でどうして生きることができるのだろう? と、疑問に思って現地のガイドに尋ねてみました。

Photo              (アカシアの木陰は旅人に日陰を提供します)               

すると、根がとても長いので、地下の水脈に届いているという返事でした。

きっと、砂地から幾重にも及ぶ地層をくぐり抜け、おそらく硬い岩盤をよけながら、ついに地中深く流れる水脈に到達して、生きるために水を汲み上げているのでしょう。

いのちの逞しさと尊厳を思いました。

2010年4月10日 (土)

ヴェネツィア

水の都ヴェネツィアは、印象深い場所のひとつです。

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栄華をきわめた海上都市へは、橋を渡って入るルートもありますが、やはり船で入るのが良いと思います。

  Img0032_2(ヴェネツィアにかかる橋)

Img0035                                 (船着場)

              Img0047_3                                          (リアルト橋)

ゴンドラ観光で必ず通る「リアルト橋」は、かつての繁栄のシンボルらしく「富の橋」と呼ばれているそうです。

Img0044_2                          (サンマルコ広場のオープンカフェ)

やわらかな夕日に包まれた美しいサンマルコ広場に、まるでとけ込むかのような音楽が奏でられていました。

Img0038_2                           (サンマルコ教会と鐘楼)

また、いつか訪れたいものです。

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2010年4月 6日 (火)

バニアス

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バニアスは、イスラエル北部ヘルモン山麓にあります。

ギリシア神話に登場するパン(牧羊神)を祭るほこらが点在していました。

きっと、古代から豊かさを象徴する特別な場所だったのでしょう。

ヘルモン山系に降り積もった雪が沁み込み、長い歳月を経て泉となって力強く湧出します。

いくつかの泉から集まった水流はヨルダン川となり、ガリラヤ湖を経由して死海に注ぎます。

Img0053                                                         (死海の夜明け)

水の旅は、まるで人生のようです。

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